条約に明らかに違反

条約に明らかに違反

ソ連軍による強奪や破壊行為によって働く場所を失った何十万という人々も、共産党軍に入隊した。ソ連占領軍は工場や機械類を丸ごと「戦利品」として運び去り、生産施設を破壊していったのである。ソ連軍によって持ち去られた機械設備類は八億五八〇〇万米ドル相当(現在の再調達価格で二〇億米ドル)と推定され、これによって多くの国民が生計の道を断たれた。中国共産党が東北へ派遣した兵員は当初六万だったが、これが雪だるま式に増大して三〇万になった。このような中国共産党への支援はソ連が蒋介石と締結したばかりの条約に明らかに違反するため、極秘のうちに実行された。アメリカ式の訓練を受けアメリカ製の武器を装備した蒋介石の精鋭部隊は、ソ連の占領地域から遠く離れた華南やビルマ方面に足止めされていた。

 

部隊を大至急東北へ移送するために、蒋介石はぜひともアメリカの軍艦を必要としていた。アメリカは蒋介石に対して毛沢東との和平交渉を求めた。アメリカからの圧力に屈した蒋介石は、毛沢東を重慶へ招いた。アメリカの中国政策は故ローズヴェルト大統領(一九四五年四月一二日死去、副大統領ハリl oトルーマンが後継に昇格)が敷いた「無理にでも和解させる」という方針が基本であり、在中国アメリカ大使は、落介石と毛沢東が合意に達したあかつきには二人をそろってホワイトハウスヘ招待する、という考えを示唆していた。毛沢東は重慶へ行くのを嫌がり、蒋介石の招待を三度断った。