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支持する姿勢

支持する姿勢

合意を遵守する意図などなかったものの、落介石は一〇月一〇日に調印された「双十協定」を支持する姿勢を示した。そして、こうした行動は少なくとも短期的には蒋介石に見返りをもたらした。毛沢東が重慶に滞在しているあいだ、アメリカ軍は華北の主要都市天津と北京を占領し、蒋介石に代わって二市を維持した。また、蒋介石の精鋭部隊を船で東北へ移送しはじめた。双十協定が調印されたあと、蒋介石は毛沢東を招いて一晩話し合った。翌日、落介石と毛沢東は朝食を共にし、そのあと毛沢東は延安へ戻った。

 

 

毛沢東が帰ったとたん、蒋介石は本音を日記のページに吐き出した。「共産党は不誠実であり、卑劣であり、畜生以下である」一〇月一一日に延安に戻った毛沢東はただちに蒋介石軍を東北から締め出す軍事作戦に着手し、林彪を東北の共産党軍司令官に任命した。何万もの幹部党員がすでに東北へ派遣されており、新設の東北局の下に組織された。東北局の指導部は、九月中旬にソ連軍によってひそかに延安から藩陽へ空輸されていた。

 

 

毛沢東は、万里の長城の東端にあたる山海関に部隊を展開するよう命じた。八月二九日、共産党軍はソ連軍と協力して中国本土から東北への通路にあたるこの要害地を占領した。毛沢東はソ連軍に対して海港と空港の守備を要請した。ソ連軍の後押しを受けた共産党軍は、匪賊を装って、蒋介石の部隊を上陸させようとしたアメリカ艦船に発砲した。米司令官ダニエル・バーベイ提督が乗った艦載ランチを狙撃して海上へ追い返すという戦果もあげた。結局、アメリカ第七艦隊は山海関のすぐ南にある秦皇島に入港し、ここで蒋介石の精鋭部隊を上陸させた。