沈着冷静な態度

沈着冷静な態度

毛沢東はこの対応に激怒した。毛沢東は重慶へ足を運んだことで多大な収穫を得た。立ち会った一人に言わせれば「囚人対看守の交渉のよう」だったものの、毛沢東は蒋介石と対等に会談した。各国は毛沢東を逆賊でなく政治家として大使館に招待した。毛沢東もこれに応えて如才なくふるまい、チャーチルの特命全権公使で生真面目なカートン・ド・ヴイヤール将軍の「冨ハ産党軍は?日本を破るうえでたいした貢献をしていないと思う」し、毛沢東の軍隊は「単なる嫌がらせ程度でそれ以上の価値はない」という辛辣なコメントを笑ってかわした。共産党軍がアメリカ軍士官ジョン・バーチを殺害し手足を切り落とした事件について在中国アメリカ軍司令官アルバート・ウェデマイヤー将軍から面と向かって追及されたときも、毛沢東はあわてなかった

 

。ウェデマイヤーが、アメリカは中国に原子爆弾と五〇万の軍隊を持ち込む用意がある、と、脅しに近い発言をしたときも、毛沢東は沈着冷静な態度を崩さなかった。批判や追及をうまくいなす対応で、毛沢東は絶大な宣伝効果を上げた。重慶の和平交渉は四五日間続いたが、すべては芝居であった。毛沢東は行く先々で「落委員長万歳―」を叫び、中国指導者として蒋介石を支持すると表明した。しかし、この発言に実はなかった。毛沢東は中国を自分のものにしたいと考えており、そのために内戦は避けて通れないと覚悟していた。蒋介石も内戦が避けられないことは承知していたが、アメリカを満足させるために和平合意が必要だった。