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最大の不満

最大の不満

最大の理由は、落介石は信用できない、自分に危害を加えるかもしれない、という懸念だった。重慶へ行くとなれば、毛沢東としては一九二七年に軍の実権を握って以来初めて自分の縄張りから出て行く機会となる。毛沢東は落介石に対して、自分のかわりに周恩来を行かせる、と返事した。しかし、落介石は首脳会談の相手は毛沢東でなくてはならないとして譲らず、最後には毛沢東もこれを受けざるをえなかった。スターリンは毛沢東に三回も電報を打って、重慶へ赴くよう促した。毛沢東の領土獲得をひそかに応援する一方で、スターリンは毛沢東に和平交渉の駆け引きをきちんと演じるよう要求した。重慶での会談を拒絶すれば、毛沢東は和平を望んでいないという印象を与えてしまうことになる。そうなれば、アメリカが蒋介石全面支持に傾くおそれがあった。

 

毛沢東はスターリンから圧力をかけられたことに憤慨した。この件は毛沢束のスターリンに対する最大の不満となり、毛沢東は死ぬまで何度もこの話を蒸し返した。スターリンは毛沢東に対して、ソ連もアメリカも毛沢東の身の安全を保証する、と伝えた。落介石版FBIの創始者陳立夫が著者に語ったところによれば、国民党としては「アメリカが安全を保証した以上」毛沢東の生命を狙うつもりはまったくなかった、という。国民党組織の要所要所に潜入させたスパイ、とくに重慶衛成司令張鎮がひそかに自分を守ってくれるはずであることも、毛沢東は承知していた。それでも、毛沢東は飛行機が撃墜されることを恐れて、米大使パトリック・ハーレーが延安まで迎えに来て重慶まで同乗することを要求した。こうしてあらゆる安全策を講じたうえで、八月二八日、毛沢東はようやくアメリカの飛行機で重慶へ飛んだ。延安には劉少奇を責任者として残した。